二分脊椎の診断を受けるまで
当時を振り返ってみると、症状としては、25歳くらいから腰痛が頻繁にあったことが始まりではなかったかと思います。その後、数か月後には、突然尿失禁をするという症状が起きたりしていました。
またそして、射精をした直後、おしっこが漏れそうになり、トイレに慌てて駆け込んだりと、いうような症状が初期としてはありました。
その時は、まさか自分が障害を抱えているとは思いもよりませんでした。
その後も、仕事は普通に続けておりました。
症状はまったく改善する気配もありませんでした。
当時は営業の仕事をしていたのですが、営業車を運転している最中におしっこを漏らしてしまうという事もしばしば発生してきました。ズボンはビシャビシャです。
漏らすときはいつも1人での行動の時だったので、助かりました。もし同僚と一緒に行動をしていたら、恥ずかしくてしょうがなかったのでは思います。ちなみに、濡れたズボンは車の暖房などで乾かしていたりしていました。
しばらくすると、おしっこのおもらしの次は便失禁です。
会社から家に帰る途中に、“おおきいのがしたい”と思った10秒後には便失禁をしてしまい、大きいのを漏らしてしまいました。そして風呂場に直行したのを覚えております。
そのときは、漏らしてしまったことにについて、おとなが情けないと思いながら後始末をしていました。
当時を振り返ると、正直、おしっこが出にくいことについては何か体がおかしいのかなぁと思うことはありましたが、大きい方を漏らしてしまうことについては、病気とはあまり考えてもみなかったです。ただ、あまり深く考えなかったこと、こんなことを誰かに相談できるような状態でもありませんでした。平成10年頃なので、今みたいにインターネット上に豊富に情報がある状況ではありませんでしたので、何か悩みを検索するようなこともできませんでした。
そして、そんな事を繰り返すこと2~3年、小便をするときは腹圧をかけないと小便ができない状態にまで状態は悪化してしまいました。
もうこの状態は、受診しなければならない状態です。
そんな中、当時付き合っていた彼女が無理やり受診をすすめてきました。
それでようやく受診となったわけです。
それで、27歳のときに大学病院等で検査を行い、検査の結果二分脊椎の診断を受けました。
この日から、自己導尿が始まりました。今までは泌尿器科で診察をうけておりましたが、脳外科を紹介されました。
二分脊椎の診断を受けたその夜は、“何で僕が”と一晩布団の中で泣いていたのを覚えています。
のちに、世の中には、僕なんかよりも大変な病で苦しんでいる人が大勢いる。“僕は歩くことも、しゃべることも普通にできる。僕は普通に生活ができるのだから幸せだ”と考えられることができるようになり、だいぶ楽になりました。まずは現実を受け止めて生活していこうと考えました。親を恨んでも仕方ありません。親も障害のある子供を産みたかったわけでは、決してないですからね。
そして、今となっては、受診のきっかけを作ってくれた当時の彼女に感謝をしなければなりません。
同じようなことで悩んでいる方に対し参考にできるかどうかわかりませんが、何かの手助けになればと思います。
また、その後についても載せていきたいと思います。